ははこぐさの気ままな日々-6


嶋会館は、その昔は「花筐文庫」と呼ばれていました。 (写真は現在の嶋会館)


ははこぐさの気ままな日々-2

昭和11年11月11日 花筐文庫落成式 および 寄贈式 



嶋会館は、昭和11年に嶋連太郎氏によって粟田部町に寄贈されます。



ははこぐさの気ままな日々-1


嶋連太郎氏とは? 明治3年粟田部に生まれる。明治17年に、後の総理大臣吉田茂の父(養父)であった吉田健三氏を頼り横浜へのぼります。そして、明治19年、吉田氏の紹介で「秀英舎」という印刷会社に入り31歳の時独立し「三秀舎」と言う印刷会社を興します。その当時としては、印刷業界というのは、今のIT業界のような時代の先端をいく業種で、新しいアイディアと人柄のよさで三秀舎は、従業員30人から昭和初期には600人という大会社に成長します。嶋さんはその「成功と恩恵を郷土に」との思いから、総建築費当時の額で1万5千円という資産をかけてここ「花筐文庫」を建築し寄付しました。

その頃 2000~3000円で家が建ったといいますから、莫大な金額ですね。


そして、翌年昭和12年の4月17日~19日三日間かけて「花筐文庫開庫式」が開かれます。


昭和12年4月17日~19日にかけて、ここ花筐文庫にて、開庫式と一般公開が催されました。

今から75年も前のことですね。

そのことが、南越花筐会誌 第23号(昭和12年7月発行) に書かれていました。





ははこぐさの気ままな日々-7      ははこぐさの気ままな日々-9

名にしおふ花筐の萬開の櫻は陽光に映えて研を競ひ、まさに春爛漫の四月十七日、待望久しき文化の殿堂「町立花筐文庫」の開庫式を挙行せらる。


朝来、生憎(あいにく)雨天のため、式場を由縁深き学舎花筐校講堂に変更し、午後二時より厳粛裡に・・・(来賓の名前がズラズラとあり・・・)祝辞のあと祝電の披露なし寄贈者嶋連太郎氏に感謝状および記念品を贈呈・・・寄贈者嶋氏は、本文庫寄付の由来並に工事着手以来各方面より受けたる深甚なる助力後援を感謝し、尚、今後の活用に対する希望をきわめて慎重に感激的に挨拶された・・・。


 四時頃、式は目出度く終了すれば、朝来の春雨はカラリと晴れて小鳥の声冴え冴えしく参列者は新文庫に到り館の内外を参観し、この設備を讃え階上の参考品室には・・・(ちょっと長いので省略・・・) 隣接、粟生寺で開催中の書 展覧会をも巡回し、特に山田秀甫氏所蔵の「福井藩維新志士」の屏風等には衆目を驚かせた。

春光麗けき公園を経て祝宴場なる町公会堂に再び参集、直に祝宴は始まり紅君の(よめない汗)よろしく祝賀気分は堂に満ち、何はなくとも花を肴に祝酒に酔えば、何れも顔はほんのり桜色、内も外も 桜櫻!桜櫻!ラブラブ!さくら!慶祝の万歳の声は洋々として三里山を揺るがし解散となる。



十八、十九日は一般公開日となり、四千人もの来場者があったようです。

十八日の夜には、仕掛け花火があがったそうです。

時代も戦争に突入する前の華やかで輝かしい時代でした。



ははこぐさの気ままな日々-8


ははこぐさの気ままな日々-12


ははこぐさの気ままな日々-10

4月18日の午後からの様子。

桜が満開でした。 

(会館の前の木を3月に切り倒し、玄関前はすっきりとしています。)



ははこぐさの気ままな日々-13

満開の花筐公園