私は、最近、俳句をはじめましたが、元々、詩を書いたりするのは好きでした。
俳句をやりたいと思ったきっかけになったのは・・・
今日はそんなお話。
上の写真は、花筐公園から粟田部の町をみたところ。
粟田部って町は、深い歴史のある町ですが、それと同時に文化人がたくさん排出された土地でもあります。
もみじの紅葉はまだ先のようです。
花筐公園の中腹に句碑があります。 村雨(むらさめ)塚 といいます。
松尾芭蕉の十哲と呼ばれたの各務支考(かがみしこう)獅子門下の嶋伴平氏の句碑です。
獅子門=各務支考の別号の獅子老人にちなんで付けられた俳句のグループ名です。
美濃を本拠に活動し、歴代宗匠に美濃在住者が多いので、美濃派ともいわれます。
むらさめに
いよいよ秋の
深きかな
時雨(しぐれ)塚 という句碑もあります。
しぐるるや (時雨る々や)
空は浮世の
人こころ 寿仙
人の心は変りやすく冷たいということでしょうか? 法幸冶良左衛門氏の詠んだ句です。これも辞世の句。
他にも 杜鵬亭雨声聲(とけんていうせい) 酒井兵右衛門 という人もいらっしゃったみたいです。
ちょっと写っている建物は 山月楼のちん(はなれ)で、大正時代に活躍した童謡作家 野口雨情さん、藤井清水さん達が滞在して、作詞をしたり、作曲したりして(音楽活動)をした所です。
野口雨情さんは、私の大好きな詩人、童謡作家です
山月楼とは、花筐公園になっている三里山のふもとの粟田部、このあたりにあった料亭の名前。
私の父方の実家、吉田家の縁の料理屋です。
今年も、寒桜(かんざくら)が咲いていました。
寒桜
今も匂いし
この里に