私は、最近、俳句をはじめましたが、元々、詩を書いたりするのは好きでした。

俳句をやりたいと思ったきっかけになったのは・・・


この句です。    むらさめに・・・

今日はそんなお話。


ははこぐさの気ままな日々-1

上の写真は、花筐公園から粟田部の町をみたところ。


粟田部って町は、深い歴史のある町ですが、それと同時に文化人がたくさん排出された土地でもあります。


公園から小道を登って忠魂碑へ行く途中。。。

ははこぐさの気ままな日々-4

もみじの紅葉はまだ先のようです。



ははこぐさの気ままな日々-2

花筐公園の中腹に句碑があります。 村雨(むらさめ)塚 といいます。


松尾芭蕉の十哲と呼ばれたの各務支考(かがみしこう)獅子門下の嶋伴平氏の句碑です。


獅子門=各務支考の別号の獅子老人にちなんで付けられた俳句のグループ名です。
美濃を本拠に活動し、歴代宗匠に美濃在住者が多いので、美濃派ともいわれます。



ははこぐさの気ままな日々-6

むらさめに  


    いよいよ秋の

 

          深きかな



嶋 判平氏の辞世の句だそうです。物悲しいですよね。



ははこぐさの気ままな日々-5
金毘羅さんから二つ目の鳥居を登ったところに


時雨(しぐれ)塚 という句碑もあります。



ははこぐさの気ままな日々-10

しぐるるや (時雨る々や)

   

      空は浮世の


          人こころ                        寿仙



人の心は変りやすく冷たいということでしょうか? 法幸冶良左衛門氏の詠んだ句です。これも辞世の句。


他にも 杜鵬亭声聲(とけんていうせい) 酒井兵右衛門 という人もいらっしゃったみたいです。


ははこぐさの気ままな日々-3


朽ちぬ名の   誉れやうれし   月の影                          千鶴

(千鶴という方はどなたなのかは調べないとわかりません。。。。多分大正時代?の昔の方。)

ははこぐさの気ままな日々-9

刈萱の    思いの跡や    文の塚                            千鶴

文塚を   あとにのこして   渡る鳥                          室 ヨシ女



ははこぐさの気ままな日々-sanngeturou


ちょっと写っている建物は 山月楼のちん(はなれ)で、大正時代に活躍した童謡作家 野口雨情さん、藤井清水さん達が滞在して、作詞をしたり、作曲したりして(音楽活動)をした所です。


野口雨情さんは、私の大好きな詩人、童謡作家ですラブラブ


山月楼とは、花筐公園になっている三里山のふもとの粟田部、このあたりにあった料亭の名前。

私の父方の実家、吉田家の縁の料理屋です。


ははこぐさの気ままな日々-3



今年も、寒桜(かんざくら)が咲いていました。



ははこぐさの気ままな日々-4


寒桜


   今も匂いし


       この里に

                                   雨美